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巻頭エッセー

 

「出雲大社探訪記」

自由主義史観研究会代表 藤岡 信勝

「巻頭エッセー」アーカイブ目次 

藤岡代表新しい年が明けました。今年が皆様にとって、良い年となるようにお祈りします。

さて、私は、昨年の11月、「新しい歴史教科書をつくる会」島根県支部の講演会にお邪魔し、その折りに出雲大社を訪問しましたが、そこで得難い体験をしましたので、皆様にその一端をご報告したいと存じます。

●「雲太、和二、京三」とは?

話を始める前に、次の問題を考えてみて下さい。

【問題】「一富士、二鷹、三茄子(なすび)」という言葉(ことわざ)があります。縁起の良い初夢は、一番が富士山、二番が鷹、三番が茄子の初夢である、という意味です。では、

「雲太、和二、京三」

という言葉はどういう意味ですか。ちなみに、この言葉は、平安時代の子供が口ずさんでいたものです。

この問題を出しますと、すぐに答が浮かぶ人は滅多におりません。そこで、ヒントを出します。「この中には地名が含まれています」と言うのです。すると、「雲」という文字に着目して、「出雲!」と答える人が必ず現れます。「その通りです」と応じると、あとは「和」が「大和」「京」は「京都」であることが自然に出てきます。

この言葉は、出雲、大和、京都にある「何か」を、3人兄弟の太郎、二郎、三郎に見立てています。「その、何か、とは何でしょう?」と水を向けると、ここでもまたすぐには答が出ませんが、「出雲の国にあるもので、全国的に有名なものは何ですか?」と聞くと、自然に「出雲大社」という答が出てきます。ここで「建造物」とカテゴリーに気付くと、大和二郎は、奈良の大仏を収めた東大寺大仏殿であることがわかります。京三は、こちらから「皇居の御所の大極殿」であることをすぐに伝えます。そこで、私は次のような説明をします。

これは、建物の高さ比べです。出雲大社が1番で、2番は東大寺大仏殿、3番が御所の大極殿だということです。こういう知識を平安時代の子供は常識として知っていたわけです。

でも、ここで、大きな疑問が2つ浮かびます。第1は、東大寺大仏殿の高さは45メートルですが、出雲大社の神殿の高さは24メートルしかありません。これは間違っているのではないでしょうか。第2は、それにしてもどうして出雲大社が1番高いという話になっているのでしょうか。

●「国譲り神話」の謎解き
巨大柱発掘時の写真
巨大柱発掘時の写真
(『日本人の歴史教科書』より)

私が代表執筆者として参加している『新しい歴史教科書』(自由社)は、改正された教育基本法の「伝統と文化の尊重」という徳目を重視し、改訂された学習指導要領の「神話・伝承などの学習を通して、当時の人々の信仰やものの見方などに気付かせるよう留意すること」という指示に忠実に従って、「神話が語る国の始まり」という単元を設けただけでなく、さらに「国譲り神話と古代人」という見開き2ページの大型コラムを掲載しました。上記の「問題」は、そのコラムの授業の導入部分として教室でも実践出来ると思います。

本文はぜひ市販本の『新しい歴史教科書』をお読みいただきたいのですが、今、簡単に上記の2つの疑問について答えておきます。

第1の疑問は、平成12年(2000年)に出雲大社の境内から、平安時代末期のものと思われる宮柱の根元が発見されることで決着しました。直径1メートルの大木を3本、鉄の帯で束ねたものの遺構です。これが全部で9本あり、建築家が計算すると、その上に乗っていた神殿は48メートルに達するというのです。東大寺大仏殿をしのぎ、平安時代には日本一の建造物であったことが証明されました。

第2の疑問は、古事記の「国譲り神話」がその謎を解き明かす鍵となります。

今の皇室の祖先神とされる天照大神は高天原で神々と相談し、大国主神に地上の統治権を譲り渡すよう交渉することにしました。ところが、第1の使者も、第2の使者も、大国主神の徳に感化されたのか帰って来ませんでした。そこで、第3の使者として建御雷神(タケミカズチノカミ)を派遣しました。大国主神は2人の息子の意見に従って、国を譲ることを承諾するのですが、その時、1つの条件を付けます。それは、「私の住み処として、大地の底まで宮柱がとどき、高天原まで千木が高くそびえ立つほどの、大きく立派な神殿をつくって私を祀って下さい。そうすれば、私は引退して身をかくします」というものでした。

天照大神とその流れを継ぐ大和朝廷は、この大国主神の要求を忠実に受け入れ、日本で1番高い神殿を造りました。言いかえれば出雲大社より高い建造物を造るのを厳密に統制して、敗者である大国主神の名誉を讃え、鎮魂につとめた、と解釈できます。そして、その証拠が、平安時代の子供の言葉遊びであり、出雲大社の境内から出土した宮柱の根元ということになります。ここには、大きな戦乱を経ずして国土を統一した日本の特殊性とともに、政治的敗者を侮辱せずに名誉を与え功績を讃えるという、古代人が考えていた政治の在り方の理想が表現されています。

●出雲国造家と皇室との関係
出雲大社
圧倒的な存在感のある出雲大社拝殿

講演会の翌日の11月27日午前、島根県の渡部俊美支部長さんら地元の会員3人と1台の車に同乗して、松江のホテルから出雲大社に向かいました。社務所に権宮司・千家和比古様がお出まし下さいました。『新しい歴史教科書』をお渡しし、大変よい機会なので、私は2つの質問をさせていただきました。

1つ目は、天照大神の第1の使者・天穂日神(アメノホヒノカミ)が出雲大社の神官となり、出雲国造(いずもこくそう)千家家となったと理解してよろしいだろうか、という質問です。その通りで、このことは、境内にある天穂日神を祀る古い祠を実見して確かめることが出来ました。現在の宮司は第84代千家尊祐(たかまさ) 様です。千家は皇室とともに古い家柄ということになります。

2つ目は、出雲国造家の代替わりの際には皇室に行列を仕立てた使者を出して盛大な儀式を行うとのことですが、そのしきたりは今も続いているのでしょうか、というご質問です。古代にそのような慣例があったことは間違いなく、延喜式には細かい手続きが書かれているそうです。古来の天皇家と出雲国造家との特別な関係を思わせるものです。しかし、この伝統は中世には廃れてしまい、実は戦後になってから、簡略化した形でその儀式を復活させたのは、今の宮司と権宮司(両者はご兄弟の関係)の祖父に当たる、2代前の当主であられる方でした。「伝統とは、たとえ途切れることがあっても、それを復活させるパワーが秘められているから伝統なのだと思えます」と権宮司様はしみじみと語られました。「つくる会」の高森明勅理事とも親しい間柄にある権宮司様は、考古学・神道学の研究者でもあられ、東京の拙宅に御論攷を送って下さいました。

●受けつがれる伝統技術

さて、私たちは昇殿参拝をすませると、神職の方のご案内により、特別コースの社殿見学ミニツアーを体験する幸運に浴しました。実は、出雲大社の社殿は、現在「平成の大遷宮」の真っ最中であり、社殿の改装の様子を近くでつぶさに見学させていただいたのです。

補修工事の本殿
補修工事の本殿

伊勢神宮の遷宮については比較的よく知られていますが、出雲大社の遷宮はそれとは少し違っています。第1に、伊勢神宮の式年遷宮は20年毎に行われますが、出雲大社は60年毎です。第2に、伊勢神宮では全く新しく社殿を建て直しますが、出雲大社では、傷んだところだけを補強し、もとの社殿をなるべくそのまま生かすのです。現在の本殿は延享元年(1744年)に造営されたもので、最近では明治14年(1881年)と昭和28年(1953年)に修理が行われています。

今回、幸運であったのは、この遷宮の方式と深く関係しています。本殿の修理は、① 近くに仮本殿を造る → ② 本殿から仮本殿にご本尊を移す → ③ 本殿を修理する → ④ ご本尊を仮本殿から修理済みの本殿に戻す、という手順で行われます。私たちは本殿がちょうど ③ の状態にある時に、3週間の特別拝観の期間の最後のころに訪問したことになります。それで、ご本尊がおられないので、24メートルの高さの本殿の、普段はご本尊が鎮座されている場所の至近距離で見学させていただくことができました。そのような場所へは、普通は神職か皇族でなければ近づくことができない領域です。そして、修理が終われば、櫓は撤去され、次は60年後ですから、それまでは私たちのように近くで本殿の屋根や千木、などを見学することなど誰にもできないのです。下から仰ぎ見るほかありません。私たちの感激もひとしおでした。

本殿の修理工事は、清水建設が80億円で落札しました。伝統技術を受けついで作業は行われました。しかし、60年も経つと、前回作業に従事した技術者や職人は殆ど亡くなっており、記録が残っていない細部は推測でやらなければならないそうです。補修に使った木材は、どんな小さな断片にも焼きごてで改修の日付けを入れて将来の作業の参考にしています。

参観して最も圧倒されたのは、檜の皮を使った屋根葺きの作業でした。檜の皮を5ミリ間隔でずらしながら、竹の釘を打ち込んで行くのですが、その釘は1平方メートル当たり6000本というすさまじい数です。本殿の屋根の先端の見事な反りは、檜の皮の重ね方を少しづつ変えることで作り出すのだそうです。檜の皮の総数は64万枚です。

翩翻とひるがえる日の丸の旗
翩翻とひるがえる日の丸の旗

戸外に出ると、思い切り大きな日の丸の旗が翩翻とひるがえっていました。ポールの高さは47メートルにしてあるそうで、国旗の面積は畳85畳分! 日本最大の国旗です。それにしても、47メートルとは想像を超える高さです。この高さの神殿が実際に存在したら、まさに高天原に千木がとどくかと思われるような「空中神殿」の趣きとなるのがよくわかりました。本当に高いです。

境内には出雲大社教の社殿もあります。出雲大社教は、大国主神を中心とした神道の教えで、その社殿の入口に、皇后陛下美智子様の、あのお歌が掲げられていました。私は2年前、教科書の執筆の構想を考えている時、このお歌に出合って、「国譲り神話と古代人」という教材を書こうという決断をしたのです。皇后陛下のお歌を最後に引用させていただきます。

国譲り祀られましし大神の
  奇しき御業(みわざ)を偲びて止まず

(画像はネットより転載)

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