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『故郷忘じがたく候』の虚構性

大阪青山短期大学 福井雄三

■ 史実か?創作か?

司馬遼太郎という著名な歴史作家について、次のエピソードを紹介しよう。

『故郷忘じがたく候』という作品をご存じであろうか。これは、豊臣秀吉の朝鮮出兵のときに、捕虜となって日本にやってきた李氏朝鮮の陶工たちの運命を描いた珠玉の傑作である。彼らは、秀吉軍に薩摩藩に連れてこられた後、代々彼の地に住み続け、名陶を生み出してきた。

本書は、司馬氏が、現在14代目の当主にあたる沈寿官氏に直接インタビューした結果をもとに、エッセイ風の短編にまとめたものである。日本と朝鮮半島の歴史の狭間で翻弄されながらに生きてきた、名もなき人々の運命に司馬氏が思いを寄せ、心の中にかき立てられた煮えたぎるような情念を、彼らの姿に投影させていて、エッセイとしては最高傑作である。まさに、作家としての司馬遼太郎の面目躍如たるものがある。

ところが、この作品こそ、司馬遼太郎の独断の最たるものなのだ。

■ 「もらった!」

この作品を書く前、司馬氏が鹿児島の沈寿官氏の家を訪問して話を聞いている最中に、突然大声で「もらった!」と叫んだという。司馬氏は興奮してくると額に汗をびっしょりとかく癖があり、このときも額に大粒の汗をかきながら叫んだので、沈氏は、最初何のことか分からず、さては床の間に飾ってある沈家先祖伝来の家宝である陶器をもらった、という意味かと訝った。

だが、実際は「今、あなたが語った話の内容を、自分がこれから書こうとしている小説のテーマとしてもらった」という意味だったのだという。

私の友人に、ソウル大学名誉教授の李杜玄という人物がいる。東アジアの民俗学が専門の学者だが、この人も『故郷忘じがたく候』を読んで、あまりにも感動され、ソウルから飛行機に乗って鹿児島の沈寿官氏の家までわざわざ会いに行かれた。

そのときのことを、彼は私に次のように語っている。

「いやぁ、福井さん、あの『故郷忘じがたく候』は大変素晴らしい名作だけれども、内容的には大部分が司馬遼太郎の創作ですよ。一応は、沈寿官から聞いた史実をふまえてのエッセイということになってますけれどね。まぁ、地名だとか、人名だとか年代などは、基本的に事実だとしても、あれはまさしく司馬さんが自分の空想を膨らませて書いた作品で、彼自身の思いこみが投影されたものですよ」

■ 名誉毀損で訴えたい

拙著『「坂の上の雲」に隠された歴史の真実』(主婦の友社)のなかで、私は以前『故郷忘じがたく候』をとりあげて論じたことがある。すると、その後、読者の方からこれに関して次のような内容のお手紙を頂いた。

あの『故郷忘じがたく候』に出てくる沈寿官のエピソードは大嘘ですよ。司馬遼太郎の作り話です。私は沈寿官と同じ旧制鹿児島二中(現在の甲南高校)の卒業生ですが、彼が語ったとされる次のような差別問題など、我が母校にはまったく無縁です。

沈寿官が入学した初日、上級生が集団で教室に押しかけてきて「このなかに朝鮮人がおるだろう。手を挙げて名乗れ」と叫んだ。沈寿官が黙っていると激昂した彼らは「名乗らないなら俺たちが暴いてやる。おい、そこのお前だ」と沈寿官を取り囲んで引きずり出し、集団で殴る蹴るの暴行を加えた。沈寿官は失神寸前になりながらも歯を食いしばって耐えた。服は破れ、大怪我をした彼が帰宅すると、両親が門のところに立ち、息子が帰ってくるのをいまや遅しと待ちかまえていた。彼らはまるで、今日起こる出来事を神のように予見していたかのごとくであった。同じ、鹿児島二中の卒業生である彼の父は、やはり彼と同様に、かつての入学式に上級生から集団暴行を受けており、そのことを涙ながらに息子に語った……。

我が母校の鹿児島二中は、九州でも屈指の文武両道の進学名門校であり、嘘をつくな、けんかに負けるな、弱い者をいじめるな、という尚武の気風をモットーにしています。卒業生たちも社会で名を成した立派な人たちが多く出ています。そのわれらが母校の入学式で、上級生による朝鮮人新入生への集団暴行が、毎年恒例の伝統的な行事として行われるなど、前代未聞です。そんなことが実際に起こっていれば、教師や父兄をも巻き込んだ大問題に発展し、校長の首は飛んでいるでしょう。少なくとも、私の周辺や見聞した限り、そのようなことは皆無です。司馬遼太郎がなぜこのようなでたらめを書くのか分かりません。

甲南高校も含めた鹿児島二中の同窓会では、司馬を名誉毀損で訴えてやりたい、という怒りの声が沸き起こっています。福井先生、いつか機会があれば、是非、このことを世間に訴えて下さい。

■ 民族差別はあったのか?

沈寿官氏沈寿官氏(写真)は、中学生の頃、喧嘩に明け暮れていて番長クラスのボスだったという。不良学生同士の喧嘩や学校同士の集団の喧嘩で、頭に血がのぼって取っ組み合っている最中に、心ない罵詈雑言を浴びせられたことはあったかもしれない。だが、そのようなことは、子供の喧嘩の世界では日常茶飯事、珍しくもない話だ。それをあたかも、名門中学の伝統的な恒例行事であったかのように話を創り上げ、ひいては日本と韓国の民族差別をめぐる、歴史的問題にまでテーマを膨らませてしまっている。

私自身の経験に照らしても、このようなあからさまな朝鮮人差別があったとは考えにくい。たしかに、私の周辺にも在日の子供はごくわずかながらいたし、心の中で彼らに対する違和感がまったくなかったわけではない。だが、これはむしろあって当然なのだ。民族が違えば、当然、生活文化も違うわけで、子供ほどそのような文化ギャップを敏感に感じ取るものなのだから。

そうした多少の違和感を抱きながらも、むしろ腫れ物に触るように彼らに遠慮して気を遣っていた。彼らを刺激しないよう遠くからそっと見守っていた、というのが本当のところだったのではないだろうか。

ましてや、あの『故郷忘じがたく候』のような芝居がかったテレビドラマのような差別など、私の周辺では皆無だった。

■ 心地よい懺悔〜自虐史観の病

純真無垢で素直な日本人の読者が、この作品を読めばどう思うだろうか。とりわけ戦後の自虐教育を受けてきた世代は「日本は朝鮮を侵略して彼らに地獄の苦しみを味わわせた」という罪の意識を刷り込まれているがゆえに、この本を読めば、あたかも犯罪者が神父に自分の犯した罪を懺悔するときの感情にも似た、法悦の涙を流すであろう。いかにも、ある種の人々にとっては、随喜の涙を流して喜びそうな話である。

かつて吉田清治というペテン師のでっち上げた『私の戦争犯罪〜朝鮮人強制連行』が一世を風靡して、いともやすやすと日本国民の心に入り込んでしまったことがあった。同書は、日本人が朝鮮人女性を拉致して「慰安婦」にしたかのような作り話だったが、今でも一部では信じられてしまっている。

これはおそらく今述べたような心理的背景が、日本の社会を覆っているからであろう。司馬遼太郎という作家は、こういう話を書けば、世間が喜ぶだろうというツボを心得ていて、読者の心を自由自在に操る能力の持ち主だといえる。

そういえば、私が子供の頃、テレビで見て熱狂した力道山のプロレスも、それによく似た興奮と感動を、見る者の心にかきたててくれたものだった。

村松友視という作家が書いた『私、プロレスの味方です』という本の中で彼は次のように述べている。

力道山のプロレスは、観客の心の中にまるで微粒破片のように入り込み、見る者によって千差万別、ありとあらゆる千変万化の物語と情念をかきたててくれた。彼のプロレスは観客の心を自由自在に操る、芸術と言ってよいほどの境地に達していた。

講釈師の筆さばきというものは、状況に応じて、如何に都合良く使い分けられるかということを思い知った。司馬遼太郎氏ほどの文章のベテラン、達人になると、白を黒、黒を白として読者を煙に巻くくらいは朝飯前であろう。

近現代史に関する専門的知識を多少なりとも備えている者であれば、そのような作家の歴史認識の背後に潜む、誤謬と落とし穴にすぐ気づくことが出来る。だが、一般の読者はそこまで注意しながら歴史小説を読むことはないので、まるで講談を聞いているような心地よい語り口に、いとも簡単に誘導されてしまうのである。

民主党政権は、鳩山前総理が言い出した「東アジア共同体」という構想をスローガンに掲げ、民主党の党是である在日外国人参政権付与を推し進めようとしている。

このような愚かな政策が実行に移されるのを私たちは断固として阻止しなければならない。

私が危惧するのは、『故郷忘じがたく候』のような虚構性が、この国を他国に売り渡すに等しい政策の推進に一役買うのではないかということである。

覚醒せよ、日本国民。

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