歴史の歪曲
朝鮮人強制連行の定義
杉本幹夫(自由主義史観研究会理事)
最近金英達著作集『朝鮮人強制連行の研究』を読んだ。この中で彼は「自由主義史観のグループがいずれ朝鮮人強制連行の問題を取り上げてくるだろう。その時は強制連行という言葉が攻撃の的になるのではないでしょうか」と言っている。まさにその通りである。
彼によれば、「朝鮮人強制連行という言葉は、おおよそ次のような最大公約数的な意味で用いられている。中国侵略戦争及び太平洋戦争の時期、日本の戦時体制下において、内地及び外地の労働力不足を補うため、朝鮮人を一般労働者や軍要員として、集団的に朝鮮から内地・樺太・南洋諸島へ強制的に移住させ、強制的に労働させたこと」
しかし彼は「それでは余りにも曖昧すぎる。強制連行という言葉を使う人はそれぞれ前もって明確な定義をする必要があるだろう」と言っている。
それに対し、『日本植民地研究第一五号』で古庄正は次のように言っている。
1.朝鮮人強制連行という用語を最初に使ったのは朴慶植である。彼のいう朝鮮人強制連行とは身体的拘束によるものを意味したが、朝鮮植民地支配を暴く象徴的な用語として広くマスコミや日用語として使われ、各種歴史事典にも取り上げられた。
2.海野福寿は「もし拉致・暴力的強制にのみ、強制の意味を認めるとすれば、拉致・連行を伴わなかった労働力徴発は強制連行とは言えないという誤りを犯すことになる」とし、「強制連行の強制性を規定するものは、連行の暴力的強制力にあるのではなく、法的強制力にある」と主張している。
3.山田昭次は暴力的連行や法的強制力以外にも、(a)経済的窮迫や向学心、(b)日本に行けという警官や面役人の圧力、(c)進路の幅が労務動員か軍属・兵士の軍事動員に狭められた結果としての応募、(d)皇民化教育による精神的拘束によるものまでが、強制連行としている。
一九九八年の在日朝鮮人運動史研究会にて山田昭次が上記論文を発表した時、朴慶植は「身体の拘束による連行だけが強制連行ではないんですね」と語った。
金英達は徴用・徴兵について、朝鮮人に対する徴用・徴兵は歴史的道義性を持たないものであり、日本人に対する強制性と質的に異なるとして、朝鮮人に対する徴用・徴兵は強制連行であるとしている。彼は韓国併合そのものが違法であるとの主張より、この論理を組み立てている。しかしこの韓国併合無効論は二〇〇一年ハーバード大学で開かれた国際学術会議で否認されている。
海野福寿は韓国併合有効論にたっている。しかし朝鮮人は法に従う必要がないとでも言っているのであろうか。法による強制が問題だというなら、日本人の青年は戦場に強制連行され、朝鮮の青年はその穴埋めに炭坑や軍需工場に強制連行されたと言うのであろうか。
山田昭次の意見に至っては、自由に希望して来日した人も強制連行されたことになる。今中国から日本に不法入国してくる中国人は、中国政府により、日本に強制連行されたのであろうか。このように屁理屈をつけ、一つの言葉を歴史的用語として、全く別の意味に使うことを歴史の歪曲・捏造というのである。
その結果自民党の野中元幹事長などが「日本は北朝鮮に何十人か拉致されたに過ぎない。それに対し日本は朝鮮から七〇万人も強制連行した」と言っている。
更に九月二六日の朝刊によれば、国連で北朝鮮は「朝鮮半島占領時代、日本は八四〇万人を強制連行した、たった数人の拉致被害者の死をどうして比べられようか」と日本を非難したと伝えている。
更にこの北朝鮮の発言について、日本の国連大使は何ら反論しなかったとのことである。国際会議で反論しないと言うことは、認めたことになる。
強制連行の定義が不明確のため、拉致と徴用を同一視したり、希望して日本や世界各地に渡った人も強制連行されたとする、とんでもない意見が出てくるのである。マスコミは強制連行の定義についてどのように考えているのか、明らかにする必要がある。単に歴史学界のみに任せていて良い問題ではない。
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